日本歯科新聞に興味深い記事が載せられた。記事によると、アメリカ・ニューヨーク州立大学バッファロー校の疫学・環境医学部門に所属するJo L.Flrendenheim博士らがコホート研究で実証した。50歳~79歳の乳がんの病歴の無い閉経後の女性7万3737人対象に6・7年後の推移を追ったところ、2124人が乳がんになった。また、全被験者の26%が歯周病に罹患していた。
両者の関連を調べたところ、歯周病のある群は、そうでない群に対して14%乳がんのリスクが高かった。過去の喫煙率との関係では、禁煙してから20年以内で歯周病のある群は、乳がんのリスクが36%高くなった。歯周病があり、喫煙率がない群では6%、同じく禁煙してから20年以上の群では8%、歯周病の無い群に対して乳がんのリスクが高かった(以上、日本歯科新聞の記事より転載)。
喫煙と発がんの関係については広く知られているところではあるが、歯周病と乳がんの関連について聞いたことのある人は多くはないであろう。この記事では歯周病の乳がん発生への関与の有無については述べられていないが、これだけの割合でその発生率に差が出ていることを見ると、詳細は分からずとも今まで以上に歯周病に対する目が厳しくなる。
私が歯科医師になった20年前、このような話を聞いたことはなかった。しかし今後、研究が進んで行くにつれて、私たちが想像することさえしなかった事実が明らかになって行くかもしれない。そしてそれは、歯周病に対する認識を大きく変えると共に、私たちの生活様式までをも変えることに繋がっていくかもしれない。
去る5月18日の読売新聞朝刊に歯科で歯を削る際に口の中に入れる器具(ハンドピース)の滅菌の現状について書かれた記事があった。その記事によると、我が国では多くの歯科医院が患者さんごとにハンドピースを滅菌しておらず、患者さんごとに滅菌している医院の割合は歯科医院全体の3割ほどしかないそうだ。記事では東京都内の病院で働く勤務医が窮状を訴える話も紹介されている。
そもそも、ハンドピースというものは滅菌を行わないと、どのようになってしまうのだろうか?ここでは、滅菌しないことによる影響、また、なぜ滅菌という行為が広まらないかという理由について考察してみたい。
ハンドピースとは患者さんの口の中に入れて歯を削るための器具であり、歯科医院を受診したことのある人なら、それを見たことの無い人はいないだろう。治療を行うことによって当然ながらその表面には注水・切削によって生じた水、唾液や切削片、血液が付着する。それら表面に付着した汚れはアルコールなどで拭き取ることによって除去することは可能だが、問題は汚染物質が拭き取ることで除去出来ない、ハンドピースの内部に入り込んでしまうことである。それらの中には当然ながら血液も含まれるわけであり、仮に内部を血液で汚染されたハンドピースを別の患者さんに使用した場合、交差感染(器具を介して他の患者さんに菌を移してしまう)を引き起こす恐れも拭い去れない。新聞はこれらの危険性があるにも関わらず、歯科医院で滅菌が進まない理由として滅菌にかかる経費の高さについて指摘している。患者さんごとにハンドピースを滅菌した場合、それに要する時間は30分では収まらない。そうなると、歯科医院は次の患者さんを診るために別のハンドピースを用意せざるを得ないが、このハンドピース、1本の値段が20万円くらいしてしまう高額機器なのである。また、ハンドピース専用の高速滅菌器を購入しようと思ったら、医院はより高額の設備投資をせざるを得ない。
幸い、当院では早くからこの問題に取り組んできた。当院の持つハンドピース専用の高速滅菌器 DACユニバーサルは小型高圧蒸気滅菌器のヨーロッパ基準EN13060のクラスSに準拠、またISO 15883:5 Annex Jにも適合しており、1台で注油、洗浄、滅菌までしてくれる優れものである。また、ハンドピースは静穏に定評のあるものを多数揃えている。これらのおかげで、当院を訪れる患者さんは安心して受診いただけているものと考える。しかし、すべての日本の歯科医院がこのような機器を導入出来るかと言えば、それはそう簡単ではないと思う。
なぜならば、この滅菌という作業に対して医院が受け取ることの出来る報酬は初回の受診のみ260円、以降は1回につき40円だけであり、この額では到底、先に述べた経費を賄える訳ではなく、足りない分は歯科医院側の持ち出しとなってしまう。満足のいく滅菌を行うということは医院の経営に大きな負担を与えるということを意味している。多くの歯科医院が滅菌を行いたいと思っているにも関わらず、経済的な理由から踏み出せないでいるというのが滅菌の広まらない本当の理由ではないだろうか?
私が歯科医師になった20年前は、現在と多くのことで異なっていた。コップやエプロンは現在のような使い捨てでなく、レーザーやデジタルレントゲンなど何百万円もする高額機器を置いている歯科医院はまだ珍しかった。1人の患者さんを診察するのにかかるコストが現在ほどかからなかったのである。しかしながら、コストに見合う対価はと言えば、この20年、全くと言っていいほど上昇していない。新聞に報道された滅菌は低い報酬にも関わらず行っているという歯科医師の良心に支えられているのが現状である。コストのかからなかった過去のシステムに戻ってほしいとは思わない。しかしながら、歯科医師の良心にも限界がある。滅菌に真摯に取り組んでいる歯科医師を守るためにも今一度、国に対してこれら経費に見合う報酬の必要性について検討していただくというのは理不尽な願いだろうか?
写真は当院が所有する「お歯黒(鉄漿)」です。お歯黒(鉄漿)とは、主に平安時代から江戸時代にかけての我が国にあった慣習で、酢酸と鉄を混ぜ合わせた液体に五倍子粉(ふしこ)と呼ばれるタンニンを含む粉を混ぜて出来た黒色の液体及びそれを歯に塗る行為のことを指します。お歯黒をする目的には化粧としての意味合い以外に、その成分に起因する虫歯予防の効果があったとされています。実際に、お歯黒を塗った歯にはタンニンという物質が浸透して、酸に対して溶けにくくなる効果が認められています。
写真のお歯黒がいつ頃に作られたものか正確な年代は分かりませんが、外袋の表面には「専売者 大阪淡路町堺筋角 寺田芳壽堂製」、裏面には東京での代理店として、現在の東京都中央区に居を構える店の名前が列記してあります。また、「芳香」「口の中の熱が去り、歯が引き締る」との記載も認められます。昔の人の歯に対する関心を窺い知ることが出来る歴史的価値のある物です。